IE9ピン留め

光の春はすぐそこなのに

 きのうと今日の区別がつかないほどに、毎日仕事ばかりだ。といいながらも、お風呂に足を入れるとき、ご飯を口に運ぶとき、トイレのドアを開けるとき、ふと「ああ、きのうより今日は年をとったんだ」と思う。キミの人生はどこかに向かってるのさ。

 窓の外は光がいっぱい。寒い寒いと言いながらも、毎日が少しずつ明るくなっていくのを肌で感じる。きのうと今日は違うんだ。

 いいのかね、「必死でこなす」人生で。

 さる大学に勤めていたころ、部屋が与えられ、自由時間がたっぷりで、お給料もほどほどで、でも心は苦しかった。下っ端の小娘が、何をすればいいかわからなくて毎日文献ばかり読んで、思いつきのような実験をして時間をやりすごしていたのに、教授たちは何も言わなかった。彼らも自分の実験で、論文書きで、学生の管理で、もう手いっぱいだったんだろうなあ。何をしていいかわからなかったあの時ほど、苦しかったことはなかった。
 コツコツと何かを少しずつ積み上げていくような仕事、少しずつ何かを削って仕上げていくような仕事、「職人仕事」にあこがれた。「手に職」があるってことにあこがれた。

 あれから30年がすぎ、気づいたら気の遠くなるようなコツコツ仕事を毎日している。この間なんて、400ちかくも文献が並ぶうんざりするような論文を校正した。
 これってあこがれが実現したってこと?

 


寒中見舞い

 賀状の代わりに届く寒中見舞いって、けっこう嬉しい。
 賀状はみんな一緒にどっと出すけど、寒中見舞いって、その人のために、その人のことを思って書いてくれるから、なんだか中身がもっと濃い気がする。私のほうからも、届いた賀状のお返事に寒中見舞い。

 寒中見舞いは小寒(今年は1月6日だったらしい)を過ぎたら出すらしい。年末にあわてて書かされる賀状よりも、ゆったり空いた時間を見て書ける寒中見舞いのほうが、なんかいいかも。

 寒さ厳しき折、わが腰はまだまともにならず。座ったままでいると固まってしまいそうだ。まだまだ不安で散歩もできないし、動かずに食べているから肥満は進むし、なんだか生活習慣病の悪循環にはまっちゃったかも。そろそろと腰をねじって体操体操!

 

 


まあ少しずつ

 元旦は「ちょっと痛いかな」くらいだった。だのに2日になったら「う、う、た、立てない!」。

 …ということで、このところぎっくり腰は夫の専売だったはずなのに、久しぶりの当人のぎっくり腰で2012年は明けてしまった。始まったらまったく動けなくなる夫と違うのは、しばらく動かずにいると次の動作が大変だけど、いったん動き始めれば比較的動けてしまうところ。正確には本当のぎっくり腰じゃなく「軽めのぎっくり腰」かもしれない。
 ということで、食べたいものを作ったり食べるといった動作はOK。ただ、いったん椅子に座ってしまうとまた動くのがつらくなるので、片付けだのお掃除だのといったこまごまして面倒なことはみんな人任せになる。ああ、おなかいっぱいと横になっていれば、自然に枕がやってくるし、立とうとすれば大丈夫かと声がかかる。ぎっくり腰と喪中のおかげで(賀状書きでのアタフタがない)、いつもの年にくらべ少しのんびりの3日間を過ごすことができた。

 そしてつい先ほど、長女が帰ってわが家の正月モードは終了だ。緊張と遠慮のみえたこだまも、早めの散歩を終えてソファの定位置でホッとしたもよう。私も新年早々用の仕事第一弾をクロネコさんに持っていってもらって、ちょっと一息。夫はコタツで本を読むぞ~と言っているけど、きっとじきにうたた寝に突入だな。

 誰も来ないのもなんだかさびしいし、でも闖入者に振り回されすぎるのも面倒で。ちょうどいまくらいの、夕方のこんなぽかんと空いた時間は、天からの贈りものみたい。仕事机に座ってみたら、なんだか腰もしゃんとしたような。

 ゆっくり休んだら、また頑張って働こう。人生の残り時間を数えたって仕方がない。この暮れに、昔の職場でお付き合いのあった10年くらい年上の先輩ご夫婦が外部校正いまだ現役と聞いたばかり。ご主人は確か胃癌も経験したはず。地道でいいお仕事をされるご夫婦だったけれど、いまも変わらずバリバリとは!

 目がしょぼしょぼしたり、腰にきたり、歯がうずいたり、あっちもこっちもギシギシしてくる人生の時季に入った私だけど、そうか、うまくメンテしていけば人はまだまだ長く使えるのね。静かな気持ちで毎日をつないでいけば、たしかに何とかなりそうな気がする。仕事を受けすぎた、どうしようとあわてるだけじゃなくて、どうやったら受けたものを合理的に問題なくこなせるか、工夫しながら乗り越えていかねば。

 ぼんやり考えているうちに、外は次第に夕闇だ。お湯のシュンシュン沸く音が、時間を刻む。


 皆様、ことしもよろしくお願いいたします。
 
 


相変わらず

 きょうは父の命日。なんとも忙しい時期に逝ったもんだ。のんびり墓参りになぞ行ったことはなく、「忘れてないよ」という母への電話でいつもごまかしていた。その母もいなくなって、電話ナシの命日はもう5回目か。

 中学生だった私も自分で自分の年が信じられない。いくつになっても心は変わらない。頭の中の姿だって、記録されているのは20代の姿。鏡に映るあのおばさんはどうしたって私じゃない。

 とあがきつつも、時間はしっかり流れていく。でも、今年もその流れにしっかり乗って、なんとか例年どおりで年を越せそうだ。
 干上がるかと思っていた仕事、今年は古巣との縁が広がった。Wさんからの話のあとに舞い込んだMさんの話。一度だけのカバーかと思ったらその先もとのこと。古巣はいろいろあったからもう縁切りかと思っていたのに、ひょんなことから切れていた糸がまたつながった。

 他方、ずっと音沙汰ナシで塩漬けだったほうの仕事も、ちゃんと動いているそうな。さすがに年末とあって、印刷所営業のKさんの元気な声が届いた。「来年は忙しくなりますよ!」 本当かな。

 誰にも合言葉のように、「今年のうちに」「年明け一番で」と約束している無謀な私。あ~あ、お正月休みって、それほどないのに。大丈夫なのかなあ…。

 ひとつだけ。毎年年末には連絡のあったTさんがしばらく連絡ナシでちょっと気がかり。80歳、がんばってほしい。

 


あっという間に年の暮れ

 本日市民ネット。春子さんが織ってくれた素敵なネックウォーマーをして、颯爽と…とまではいかないけれどいつもよりちょっと気合いを入れて「行ってきます!」。
 70代半ばのTさん、なんと5日に胃がんの手術をして12日に退院したばかりだそう。なのに、「しばらく静養させてもらう」と、わざわざご本人が出向いてきた(奥様の運転)。早期発見で内視鏡手術になったそうだけど、一部始終をモニターで見ていたそうな。もともとスリムな方だったけれど、ほとんどやつれた風もなくてびっくり。日ごろ車は使わず、自転車で移動して体を動かし、食事にも気をつけていたTさんなればこそ。退院したばかりでわざわざ顔を見せたのは、「1カ月でどのくらい太るか、見てもらいたくてね」だそう。このくらい平然と受け止められたら、がんも二度と寄り付かないんじゃないか。
 市民ネットではお酢の「ミツカン」からいただいた小水力発電の小冊子、『水の文化』をみんなに配布。これだけのものをタダでもらっていいんだろうか(送料もあちら負担)。大きな会社って、こんなに余力があるの!! と一同感嘆符。

 次女の新しい仕事が始まって、きょうでやっと4日。危ないところで拾ってもらって助かったけど、遅番+早番のシフトだと、深夜に帰って早朝出るような具合でほとんど寝る間がなさそう。心配だけどアパート代も代わって払ってやるわけにはいかないし、親としては見守っているしかできない。そういう話をショッピングモールでパートをしているIさんにしたら、「あら、私の職場もシフトがきつくて似たようなものよ。いまどきは、みんなそういうのをちゃんとこなしてるのよ。まあね、体を壊さないように気をつけなきゃいけないけどね」、だそう。私のような在宅仕事は、自分で自分を管理できるだけ、見方がどうしても甘くなるんだろうか。たしかにね、今だって仕事しないでしばらくぶりのブログ書いているし(笑)。

 E社から仕事の話があったそのすぐあとにS社から「和書から撤退」のお知らせがきて、1勝1敗。そのE社も進行がまだよく見えない年の暮れ。だのにお正月の食品を生活クラブ他で頼みすぎて、今月は大幅赤字になる模様。次女に「貯金をしておきなさい、カードで支払わず手持ちのお金の中でまかないなさい」と言っている親が、この有様ではいかんなあ(おまけに今回は喪中のはず)。

 久しぶりに電話のあったシングルマザーのMさんは、子どもの入院と自身の体調不良でしんどいはずなのに「期待がないから平気、平気」って。こういうときが逆に危ないんだよ。保証のないフリー校正者は、こういうパターンがいちばんきついよね。でもこういう人にはどう接したらいいものやら。変にやさしくしようとしたってつっぱねられるに決まっているし、変わらず淡々と付き合ってあげるくらいしかできないなあ。 

 来月の市民ネットは、スコーンをみんなで焼いてお茶会の予定。




miso

 うーん、青い鳥は確かに自分ちにいるのかもしれないけど、外へ出てぐるっとひとまわり、あれやこれや体験してこないと見えるようにならないってとこが、ミソなんだな。

 てことで、まだまだ精進しなさい、kodamaくん。年に甘えちゃいかんよ。










よく似てること

 確か小学校の低学年のときのこと、忘れもの調べの表が黒板の左横にあった。忘れものをした人は、そのたびに棒グラフが伸びていく。ダントツの1位は、はっきり覚えているがこの私。生まれたときからのプログラムに、「ソ・コ・ツ」の3文字が刻まれていたに違いない。
 本人は、図書室で本を借りると1枚もらえる読書感想カードが増えていくのと同じように、この棒グラフが増えていくのが誇らしいような気持ちになっていた。これって、早くも道化の気持ちが芽生えていたのかも。自分のダメさ加減を笑いにする術を、このあたりで覚えたんだな。

 そして今朝、涙顔の絵文字つきで、メールが届いた。「きょうは○○の試験日なんだけど、朝早くに乗った新幹線の切符を車内で落として、精算させられた」というのはわが娘。狭くて狭くてほとんどアキのない分野での就職を求めて、ここ何年かあちこちで試験を受けまくっているのだ。もちろん旅費も宿泊費も出ない(これがたいてい3次くらいまで残ってから最後で落ちるから、交通費は馬鹿にならない…のにこれだもの)。

 やれやれ、娘は私の血を色濃く引き継いでいるってことね。確かに、詳しくは書かないけれど幼いころからいろいろあった。
 別な見方をすれば、この年まで娘が普通の人の顔をして生きてこられたのはものすごく幸運なことだったのかも。降りたバスの中に財布を忘れ、再度回ってきたバスに狙いをつけて乗りこんだら、もとの座席に財布がまだあったという信じられないような話は、この娘が大学生のときのこと(都下での話!)なんだけど、前にここで書いたっけ?(覚えていない)。

 「これで厄がすっかり落ちたんだから、試験のほうはうまくいくんじゃない」と私。夫も「しょうがないな。財布はあるんだ。全財産がなくなったわけじゃないさ」と慰めに入る。この甘やかしがいけないとの説も聞こえてきそうだけれど、親が親だけに、娘の粗忽さを責めるなんてことはとてもできない。私だってしょっちゅう探しものをしている(そういう人間がなぜ校正を仕事にしているんだろうか。わが家の七不思議!)。

 そろそろいい話が聞こえてくるといいんだけど、親の仕事のほうも好転の兆しが見え始めたかと思ったそのすぐあとに暗い話が追いかけてきて、人生は甘くないと教えられてばかりだもの。みんなで慰めあって、きょうも生きていくしかない(苦笑)。



かき回す

 「今日中に」の期限がない金曜日は、少し気持ちが緩んでしまう。引き受けてはみたものの、進行が私のところで停滞している例の仕事も(だいぶ気になっているんだけど)そのままにして、生活クラブの支部委員会に律儀に出席してきた。

 委員のほとんどが仕事を持たない元気な奥様方(と、その時間の使い方の優雅さから推測しただけなんだけど)の活動に、「忙しい忙しい」といいながら参加するのは、実のところヒジョーに違和感がある。月に1度の会議だけをやっとのことでこなしている私に比べ、しょっちゅういろんなイベントに参加しては、裏方としてたっぷり時間を提供しているみなさんは、とてもマジメでよく動く。
 会議はいつもだと「仲間づくり」報告(要は新会員の獲得活動)から始まって各委員会の活動報告やらへ。昼をはさんでもエンエン会議は続くのだけど、私はとてもそこまで付き合う気にはなれなくて、慣れてきた近ごろは昼にはさっさと「引き上げ」ることに決めている。

 そういう私であるがゆえに、1人の理事の長々おしゃべり(仲間づくりがメイン)でいつも会議がチンタラ進行ぎみなのが、どうも気になって仕方がない。この半年間、会議に出るたびブスブスと小さく燃えるものがあったのだけど、先月の会議でとうとうそいつが噴き出した。「私たちは営業マンじゃないんだから、仲間づくりばかり前面に押し出されても、なかなかその気になれません」なんて。書面でわかる報告は簡潔にして、出席している委員の声をもっと聞いてもらえる進行にしてほしいとの要望書も届けたところなのだ。
 そういう経緯の後の委員会なので、かき回しただけじゃどうも無責任だし、意見を受けて執行部はどう動くんだろうかということも気になるので、ちょっとばかり無理してそれを確認に行ったというところ。

 結果は・・・なかなかまじめに受け止めてもらえたようだ。今回の新企画、小グループに分かれて、実現の可能性のないことでも構わない、ぬいぐるみを持った人が意見を述べ、その他の人が書きとめて、最後に全グループで発表するという方式は、きっとどこかで開発されたワークショップ運営法なんだろう。前に市民ネットのIちゃんが言っていたワールドカフェ方式の簡易版? 意見を誰もが気軽に言えて、なかなかよかった。

 自分で決めていた終了時間を15分オーバーしたのだけれど、発表がひと回りする間は居残って聞いてきた。なかなか面白い意見があげられて、こういう会議なら次回も無理して出てみようかという気にもさせられる。

 そ、お仕着せはダメ。人はその気になって自分から動くのが楽しいのよ。


 

 


元気不足

 排水枡がモグラのおかげで傾いて、家の中では台所と風呂の蛇口が水漏れで、どちらも素人のパッキン交換ではすまないと判明し、修理を頼んだ。
 排水はまあ何とかなりそうだけど、問題は大工Tの手作りキッチン。実はこれが裏目に出て「こんな変則な設置じゃ、システムキッチン全部を取り替えないと直せないっすよ。うちのホームセンターに安いのがあるから全部交換しちゃどうですか」なんていったのはホームセンターお抱えの業者だった。だいぶ古びてきたけど、水道だけのことなのにキッチン全部を交換しろだなんて、木のよさをまるきりわかっていない。
 次の業者を探すにあたり、地元の水道組合に推薦してもらったところ、珍しくいいオヤジに遭遇。排水枡を見てもらうときにミミズコンポストを見せ、「ミミズは雌雄同体でお腹の腹巻のところに卵が入っている」なんていう話をしたんだけど、どうもそのあたりが受けた模様。自分でもログハウスを2軒建てたそうで、「こういうのを面白がる職人がいるから、どうにかさせますよ」と、変則キッチンの修理にもまるで抵抗なく、とても気安く受けてくれた。おまけに思ったよりも見積りも低い。
 
 こちらもその気安さに乗って、「来週あたり」とはきいていたのに具体的な日程をつめずにいたら、「これから行っていいですかね」って、朝パンをもぐもぐしているところに突然電話あり。面倒な仕事を受けてもらったという思いがあったせいか、「もう少し遅く」なんてことを言いそびれてしまったら、その20分後くらいには皆さん到着。夫は予約のあった歯医者に行ってしまい、あらら、片付けも途中なのに、仕事もあるのに。家の中に人がくるのがめっぽう苦手なのに、私が一人で対応することになってしまった。 

 その日は宅急便で野菜がどっさり届くし、生協の配達は来るし、緊張体質の私としてはもう頭の中がパニック。職人さんが家の中を出たり入ったりするたびに、そばについている? いや放っておくほうが仕事がしやすいだろう、そうだ、ああしてこうして・・・と考えすぎて落ち着かないことこの上ない。
 おまけに車を動かすときに、なんだかきょうは人がたくさんいてきっと面白いことが起こるはずだと期待に胸膨らませるこだまが、庭から飛び出しそうになるのを追いかけてやっとこさ阻止したり、エネルギーをこの3時間でとことん使い果たしてしまったらしい。

 職人さんが帰ったあと、台所が使えないし「新そばでも食べに行くか」と楽しい気分で外に出たのに、そばもおいしく感じられないほどの頭痛に襲われ、夜には吐き気と目の痛みも始まり。このあと3日間、わたしは苦しむのです。

 思えばその1週間前は仕事先との1年ぶりの会食で、その最中に激しい腹痛。じっと我慢で会食中は乗り越えたものの、帰りの電車で脂汗。帰ってきてから立ち直るまでに2日間かかったし、最近は腹痛と頭痛が交互にやってきている。

 
 この頃は、体調不良の問屋のようです。ああ、早くここから抜け出したい。
 
 

 

 


いよいよ

 先月から予告のあった新雑誌、ようやく作業開始。旧知の方からの仕事とあって、ほとんど説明がない。まあ自由度が高いといえば高いけど、彼ももう前とは職場が違うしねえ。
 すでに仕事をもらっているS社のいわばライバル社。方式が似ているもんで、ついつい同じパターンで取り組みそうになる。実際はここまで要求されてなかったんだとしたら、時間の無駄だなあ・・・と思いつつも、「ここまではできるんですよ」と示したいみたいなところもあって、ついついあれこれ盛り込んでしまうのは我ながら愚かだと思う。彼の術中にはまったということかね。まあ、いいや。いい仕事をしてやろうじゃないの。最初の流れができるまでは、じっと忍耐の日々。
 
 いままでの仕事は減ったわけじゃなく、テーブルの隅で待機中。こっちも適当なところではさんでいかないと。どんな手順で進めようか。あれこれ考えすぎていると突然眠くなるのは逃避だろうか。いや、体の防御反応? でも、いままでだってこういうことは何度もあったけれど、何一つ破綻に至っていないんだから、気にすることはあるまいて。

 一方で新生市民ネットも新会員を迎えたし、もうちょっと勢いつけてやっていきたいところなんだけど、執行部がみんな仕事でオタオタじゃねえ・・・。
 お嬢さんの仕事の行方も気になるところで、心配山積みの昨今、ブログが遠くなるばかり。