井上ひさしに次いで今度はつかこうへいと、訃報が相次ぐ。自分の人生と、いつも並行して生きていたはずの人たちが、1人、またひとりと姿を消していくのは、心にくるものがある。まるで沈む夕日を眺めているような。
たくさんの人が生まれては去り、生まれては去り。自分の生きているときこそが、スポットライトの当たったライブ劇場かと思いきや、自分なき後もこの舞台はカラカラと続いていくのであった。
…と、どうもこの頃この手の思いから「抜け出せない」。そういう年まわりに入ったということなんだろうか。歯を磨いているときに、お風呂でお湯をかけているときに、車を運転しているときに、ふとしたときにいつも頭に浮かぶ自分のいない世界のこと。
今年もTさんから桃が届く。お礼の電話をかけると、「これが最後の桃よ」という。病を抱えつつの1人暮らしがいよいよきつくなったと。病院に行くと「ご家族は」と聞かれるのがイヤだという。「ご家族」のいない高齢のひとが重い病と共にあるとき、私にできる手っ取り早い支援は「長電話」くらい。
Tさんの考えは決してわがままではない、主張する患者であれ、それがあなたの使命だと励ましてみるけれど、言葉だけの支援はむなしいなあ。むなしいが、飛んでいってずっと付き添う「力」が自分にない。経済も時間も気も。なんて甘い桃。
自分のときに何もなかったら…。
訪ねて、私を見ると「にーっ」と歯のない口を開けて笑顔を見せる義母。ホーム通いを夫にばかり頼んで、最近しばらく顔を見ていないなあ。ゼリーを口から食べられるようになって、冬に比べると、ずいぶん落ち着いてきた。
そろそろ雨が上がらないかなあ。