明けましておめでとうございます。思い出したときに記すブログ、まだ続けます。たまにお立ち寄りくださる奇特な皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
暮れから正月にかけ「何とか間に合わせてください」依頼が3件続き、いささか疲れた。「焦って方策を練りギリギリ間に合わせる」作業に、ついつい張り切ってしまうこの性分。これで思いっきりエネルギーを消耗してしまい、手抜きを心がけたにもかかわらずいつもの正月の用意と正月中の賀状書きやらおさんどんに、これが「効いた」。 思い切ってスパッとどれかを切り「ゆっくり休む」というコースを入れればよかったと、後になっては思うのだけど、渦中にあるとついついあれもこれもと頑張ってしまう。これも性分ゆえか。
かくして、読もうと思って買っておいたウォーショースキーシリーズ2冊はほとんど読めないまま、仕事はじめに入り、今は年明けに設定されたいくつかの「締め切り」をこなすのに精いっぱい。金曜日の今日になって、ようやく息継ぎができた。ふう。
まあ、正月休みを純然たる休みとして過ごせないのは私だけじゃないだろうけれど、なぜこうも人生コースはあちらとこちら、きっぱり分かれてしまうんだろう。私は決して「選んだ」わけじゃない。いつの間にかここにいた。このまま繰り返して、終点に向かうんだろうか。
神様がいたら、さらなる「展開」をと、お願いしてみたい。まあ崖っぷちのコースはちょっとはずしていただいて、もう少し明るいヤツで。
記憶に残るいくつかの景色。
学校からの帰り道、町とわが集落を区切る川にかかるK橋の上。遠くに幼いころから眺めてきた山々がシルエットになって目に入る。橋を渡りながら、「ああ、結局また戻ってきてしまった」と、いつも思っていた。
30~40代はあの壊れそうな家。たたかないと火がつかない風呂のボイラーに、悩まされた。排水管がよくつまったのは、井戸から以前の住人のピンクのプラコップ(あの、幼くして病気と事故で死んだという2人の女の子のどちらかが使ったものだろうか)が流れてつまっていたせいだった。ネズミとの攻防を繰り返し、大家がつないで延ばしたあきれるような素人配線に電気屋さんが「いつ漏電してもおかしくない」と警告し、20年前の畳表をそっと裏返したあの家。あそこで子どもたちは大きくなった。目の前に部落のお墓が広がるあの家から、出られる日が来るとはあの日々には思いもしなかった。
だのに今はあそこではない、この家で暮らしている。自分たちで植えた木々がいつのまにか大きくなって、月桂樹は立派な防風林にまでなっている。子どもたちは思春期の後半にここから巣立ち、かわりに愛犬がやってきて、夫婦で散歩して。それでいいじゃない。いいじゃん。
でも、たぶん見えないものがなにか足りない。
50代も60代も70代も、いつまで経っても上がりにはなりません。ずっと人生は「つづき」です。