2/17東京新聞で西村滋さんの記事を読み、心を打たれる。この記事いいねえ、西村さんて初めて知ったと夫に話すと…「え、西村滋の『お菓子放浪記』なら、ずっと前からうちにあるよ」というではないか。
まだ子どもたちが幼かった頃、ブックオフもAmazonももちろんなくて、古本をたくさん売っている市内の書店に夫は足しげく通っていた。ときどきびっくりするような値段でいい本が出ているんだと、そういう本を見つけたときはとても嬉しそうだった。この書店の古本には、青い楕円形のシールが貼ってあって、こまめな夫はこのシールをきれいにはがし、カバーの汚れは丁寧に消しゴムをかけて落とし、さあてできたというさまは、ほんとに昔のいいお父さんだった。子どもたちの記憶にはそんな夫の姿は残っているんだろうか。
(古本屋と同じように、新婚時代笹塚にあった貸本屋「富士書店」の話も心躍る話題で、これがきっかけで夫とひとしきり語り合ったのだけど、この話はまたいつかね)。
そういう掘り出し物の1冊が『お菓子放浪記』だったはずなのだけれど、表紙絵の地味さからか私はついぞ手にとることもせずに、本棚の奥で20年くらい眠らせていた。児童文学好きの看板は下げないといけないな。
夫が「あった、これだ」とほこりを払って出してきた本は、1976年理論社刊の単行本。1300円のところ250円の判が押してあった。西村さんには印税は入らなかったんだろうな。なんだか申し訳ない。
とはいいつつも早速ページをめくったら、止めることができず一気に読んでしまった。課題図書にもなったそうでとても読みやすい文章だけれど、書いてあることはとても奥深い。戦争が孤児に与えたものはこんなにひどかったのか。国が弱者を見捨てるさまは、今の原発事故後の対応となんだか重なってしかたがない。戦争が終わってハイ終わりというわけじゃなく、孤児は(戦争体験者は)、生きている限り経験を背負って生きていかねばならないのだと強く気付かされる。
これは次も読まねばなるまいと、『続お菓子放浪記』もAmazonで早速購入。こちらも一気に読んでしまった。 辛くて悔しい経験を山ほど重ねて、それでも西村さんはおしゃれに明るく生きてこられた。西村さんの生き方って、人の心を救うんだなあ。
気づかないけど身のまわりに隠れているいいものって、まだありそうだな。今年はそういうものを探していこう。