ブログ、書き始めてはやめるというのを繰り返していたら、夏がもう終わろうとしているではないか。たぶん今年最後になるであろうスイカをさっき何とか食べきったところ。
今年の夏のできごとは…いちばんはキャロかな。次女の愛犬(トイプードル)を1カ月ちかくも預かっている。昼間はちょこなんとそばにいて案外静かなんだけれど、私にひっついたままどこへでもついて来るのがちょいと疲れる。夜は家に戻るこだまとどんちゃんやって毎晩大騒ぎ。ちびのくせにオレは男だ気分になって、こだまに突っかかっていくところがほんとに困る。朝の新聞やさんのコトリという音にも、脇を通る車の音にもいちいち反応してワンワン吠えるところもちょっと参る。でも鼻でつんつんしてすぐに寄り添ってくるところは実に甘え上手。愛玩犬ゆえの本能なのか。
また娘のところに戻ったら、1日ぽつんと勤務時間が不規則な娘の帰りを待つ暮らしになるのかと思うと、ふびんさが募る。迎えの予定が1週間延びて、またまたさらに1週間。これじゃうちの犬になってしまいそうだ。たぶん、次女もそういう気分があるんじゃないか。みんなの反対を押し切って飼い始めたのだから、ちゃんと責任はとらせなくちゃいけない。そうは思いながら、この小さい命には責任はないわけで。
かわいいものが増えるということは、心配も増えるということなんだなあ。
この夏は娘二人が戻ってきて、珍しく家族4人が復活した。犬が2匹増えたほかはあまりブランクをあまり感じなかった。変わり映えしない家族でいられるというのは、幸せなことか。
ホームベーカリーでうっかりやけどをして、そのあとの手当てについてまとめたものは結局破棄。湿潤法がどうのこうのとしたためたんだけど。悩んでいるときは重大事だったのに過ぎてみれば過去の話。
この夏もいつもとさほど変わりない。変わりないんだけど、少し変わったか。年金のお知らせなんか来たり、いよいよ退職ですという友人がたくさんいたり。来年からは「優雅に」動き回る人が増えるのかな。あまりうらやましがったりしないように心しないと。
(しばしばキャロに邪魔されながら寝しなに読む)鶴見俊輔の言葉(『思い出袋』)が身にしむ。どんなに立派な人もいつか去っていく。老いを迎えた人の心の働きが、これから向かう人間に安らぎを分けてくれるのは不思議なこと。経験者は語る?
結局のところ、人はみんな生まれたときからこの問題を解いているんだなあ。