一時は「戻ってきた」気分のブログだったけれど、結局こまめに更新する気分など湧きあがらず、今までと相変わらずの低迷ぶりです。
気が付けば、もう坂を越えてしまっておりました。
60歳になったら、人生を切り替えて…なんて思っていたのかいなかったのか。記憶もはっきりしておりませぬ。だらだらと今日は明日につながって、階段をぐいっと登るような経験はすっかり遠のいてしまいました。
心を打つ言葉をおいていってくれた石垣りんさんの『夜の太鼓』に心を慰められながらも、自分と同じようなことを思っていた石垣りんさんもすでにこの世にないことに思い至ると、少し胸がきゅんとなります。
人は誰も、生まれ落ちたときから、いや自分というものに気づいたときから、終わることを背負って生きていることは知ってはいるのです。その意味ではみんな同じ仲間なのです。それを思うと胸はますますきゅんきゅんとなります。
夏の生き残りの蚊がふら~っと目の前にやってきたのをペチンとやると、「ああ、1回きりだったのに」という思いが頭をよぎります。カウントダウンはまだ早いような気もするのに、わが頭は勝手に準備をしてしまうのです。
おりしも世間は秘密保護法に、原発推進、愛国心、共謀罪,心を乱す見出しが新聞に踊っています。情報というものが、知らず知らず心ってやつを蝕んでいるんでしょうか。おまけに「明日までに」「今週中に」なんていう仕事が目の前に積みあがっています。目を背けていては決して通れないもの、糧に直接つながるものです。こういう日々を埋めるものに無我夢中で対峙していたら、あれまあこんなところまで流れてきちゃったというのが心境です。
いつ、どこで、舵を切りなおすか。いったいどうすればもっと心穏やかになれるのか。心が湧き立つのか。 そんな日は来るはずがないと観念したほうがいいのか。希望は捨てちゃいけないのか。何がなんだかよくわからない、迷ってばかりの坂の途中です。
2階を物置状態にしている元凶の機織り機をいっそ始末して、風通しを良くしたら人生も変わるんでしょうか。しがみついてきた何かを、そろそろ捨てるべき時期にきているのかもしれません。思い切るためのエネルギーを今ためているところ?
辛気臭いことをブログに吐き出して、実ははつらつリアルを狙ってるっていう考え方もできますが。
ゆずジャムを作ったり、かんたんスイートポテトをつくったり(ふかしイモにバター・さとう・牛乳をまぜるだけ)、「食いもの」の話になると少し元気になるようです。こっちを仕事にしていたら、人生もっと明るくなれたかも、なんて考えつつ、ああもうお昼の時間です。