わが家は元祖フリーターと言っていいかもしれない。結婚したてのころを除けば、1年以上にわたって収入の保証のある仕事に、夫婦ともどもついたことがないのだ。いつも暮らしはギリギリだったが、でも不思議なことにいつもどうにか食べることだけはできた。
独立したばかりの本当に収入のない時は、子どもが小さくて支出も少なかったから、お金のないことはさほど気にならなかった。私がフリーで受ける仕事と夫の単発陶芸教室で、どうにかもちこたえた。ある程度必要になってくると、知恵を絞っては私の仕事を少しずつふやしてきた。
どうにかして焼きもので食べたいと思ったけれど、なかなかそうはうまくいかなかった。
作ることはできても、「売る」ところでどうしても挫折してしまうのだ。値段がまずつけられない。また売れたとしても、買ってくれた人に対して妙な負い目を感じてしまう。
焼きものやはとても神経の疲れる仕事なのだということは、焼きものやになってから初めて気付いた。
自由はつらい。ほどほどに拘束されて、ほどほどに解き放ってもらうほうが、ずっと気楽に自由を楽しめる。まるごと放り出される事のほうが、ずっとシンドイのだ。
でもこの年になるともう後戻りはできない。前に進むしかないのだ。
みんな自分達が選んできたこと。誰かを恨んでもしかたがない。
でも、富むものと貧しいものとの格差が大きくなってきていると感ずることの多い昨今、ものつくりに対する社会の評価は低すぎるとつくづく思う。
貯蓄ゼロの家庭が2割を超えたという。貯蓄額の平均はさほど変わらないというから、格差が確実に広がっているのだとわかる。
このニュースを聞いて、なんだか怒りに似た思いが湧き上がってしまった。