81歳になったTさんに電話。この前は咳で話ができなかったけれど、今日はなんとか会話ができた。この間に救急車に1度お世話になったとのこと。前は使っていなかった酸素の管が鼻について、声もだいぶ小さくなってしまった。
Tさん自身、「いよいよかもよ」という。わたしも「いよいよかも」と思う。夫の数年前の個展のときに顔を合わせたきりで、あとはもっぱら電話でのおしゃべり。
「こうやって、電話だけでつながっている方が、すっといなくなっても電話をかけたらまだいるような気がするでしょ。その方がいいわね」って。
「そんなに先取りして自分のいなくなったときのことなんて想像しないで。せっかくまだ命が続いているんだから、笑ったり、怒ったり、生きていることを味わって」と言いながら、頭の奥で自分だったらこういう時間をどう過ごせるだろうと思う。こんなに落ち着いて受け止めきれるんだろうか。人生のほとんどをずっと一人で生きてきた、Tさんの我慢強さを思う。
Tさんとの別れの時間がいよいよ近づいてきたんだろうか。
次に電話をかけて誰も受話器を取らなかったらどうしよう、と思う。
よりによって、あきれるほどの仕事の山に囲まれている。
えいっとこれをみんな放り出して、Tさんの顔を見に行く気持ちになれない。
いまがいざというときのはずなのに。
友情に厚くないヤツだ、私は。
一時だけの平安は、彼女にとって救いになりえるんだろうか…。私の自己満足で終わるだけじゃないのか。命の厳しい現実を前にして、頭の中を問いがめぐる。
「また電話するね」といって、受話器を置いた私。