きのうは、県下の公立高校で一斉に卒業式が行われた。
なんと言っても、聾学校の卒業式にはいつも胸を打たれる。
卒業式といえば、卒業証書は「以下同文」で手渡される、というのが多くの学校の常だろうが、ここでは以下同文はない。校長が一人ひとり丁寧に証書を読み上げ、握手をしてその子の目を見て話し掛けていく。
今年の校長は特に心細やかな人で、証書を読み上げながらもう涙声だ。
もらい泣きしそうだ、やばいやばい。
中学部の時の理科で、風船をふくらまして「この風船には何が入っている?」と聞いたら、「フゥーがはいっている」となんともかわいい答えを返してくれた重複障害のKちゃんが、記念品贈呈の係。同じく重複障害のTちゃんが目録を広げ、Kちゃんが立派に目録を読み上げた。
そして圧巻は卒業生全員による「別れのことば」。
一人ずつ壇上に立ち、発表していく。
小・中と健聴者の学校に行き、特別な存在としての自分が辛くてたまらなかったが、ここに来て「自分が普通だとやっと思えた」と語る子、一方で聾学校の生活はとても楽しいけれど、地元には友達がいない、ここにしか友達がいないと語る子、家族の中で一人だけ耳が聞こえないことをどうしても受容できなかったと語る子。
テニヲハが違っていても、主語と述語が少しくらいおかしくても、彼らの言いたいことはちゃんと伝わってきて、胸を打つ。ことばが生きている。
こういう光景に出あうと、自分はここに教えにきているだけじゃなくて、多くを教えてもらっているんだなあと思わされる。
オトナが何でも知っているわけじゃない。
小さな子が胸を痛めて、一人で抱えている真実もある。