今年は3年が担当なので、学校は2月いっぱいで解雇となる。残るはあと2回。いままでは3年担当でも一応は3月まで任用してもらえたけれど、今年度からは夏休み中の解雇+3月の解雇と、とても厳しくなった。
まあ、授業がないんだからといってしまえばそれまでだけど、授業時間以外にもプリントつくりやテストつくりをしていても一切ペイはないのだから、それとの相殺ってことで1ヶ月くらい大目に見てくれてもよさそうなものを…と思う――のはこちらの感覚が麻痺してるのか?
派遣やパートの身分保障をなんて政府が言ってるようだけど、本気なんだかどうも疑わしい。世間は弱いものに実に冷たいままだ。いやこの冷たさは年々厳しくなっている気がする。
私なぞはたぶんまだ恵まれているんだろう。ほかに仕事も持っているし。
ひしひしと感じるのは若者に対する社会の冷たさだ。特に若者に対する冷たさを、フリーターの娘をもつ親としてはとても心を痛めて感じている。
朝日新聞2/19の『時流 自論』で、東大の本田由紀さんが書いていたことが興味深い(彼女の書くものはいつも鋭いと思う)。
彼女は、低収入の若年非正社員が3人に1人にも達するいま、なぜそのような事態が社会全体で成立可能かというと、若者に対し批判的な論者は「親にパラサイトしてあくせく働かないから」と個人単位・家族単位のミクロレベルで論じるが、実は経済システムが家族システムの含み資産に依存しているのだという学者の説を引いている。
「大量の低賃金労働者が暴動に走りもせず社会内に存在しえているのは、彼らを支える家族という社会領域の存在に企業が寄りかかることにより、
彼らの生活保障に関する責任を放棄した処遇を与え続けることができているからなのだ。」
そして彼女は続ける。
「冷戦下でアメリカの庇護により日本が経済発展を遂げえた時期に、安定的な雇用と賃金、そして年金を享受しえた親世代は、今後数十年の間にこの世を去る。そのあとに残されるのは、
むき出しの低賃金労働者の群れである。」
このような事態に対しいったい何ができるか。
「…それらの実現のためにも、個々人が苦境に耐えるのではなく協同して怒りの叫びをあげる必要がある。」
読み終えて、私には何ができるだろう、何をすべきだろうと考えてしまった。
この思いを忘れないように、まずここに記しておく。